『愛について語るときに我々の語ること』(レイモンド・カーヴァー)-0028


17の短編が収められた、カーヴァーの短編集。

カーヴァーは、小さなシーンをシュッと切り取る。そこには、いささか奇妙なシーンもあるし、一見日常的なシーンもある。なんであれそれらのシーンは、私たちに何かを直接的には語りかけない。大声で日本の政治を変えます、などとアピールしてきたりはしない。

でも、そこには何かしら手応えというものがある。中身は見えないけれども、大切なものが入っている感触のある箱を渡されたような気分になる__つまり暗示的なのだ。

説明を必要とするが、説明されるともろく崩れてしまうようなそんな箱は、こうした文学の中でのみ見いだせる、というのは少々言いすぎだろうか。

ともかく僕はカーヴァーの作品が好きだ。最後の一行を読み終えた時に、どこか自分だけが取り残されたような気分になる彼の作品が好きだ。その空白が、僕にイメージを強要するのだ。