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Rashita

まずは、1000をめざします。

『考える生き方』(finalvent)-0060


さらに生き方つながりで。

結局の所、希望に満ち溢れた人生を一回の転倒もなく歩み続けていく、なんてことはできない。どこかで転ける。転けたらまた立ち上がれば良い、なんて言葉が薄っぺらくなくなるくらい何度も転ける。

希望はいつかは色あせる。不条理な人生の嵐の中では、脆弱な理性が紡ぎ上げる理想など弱々しい帆でしかない。掲げ続ければ、舟は転覆する。嵐を抜けるには、帆をたたまなければいけない。

でもそれは、絶望に身を投げ出すのとは違う。

色あせた希望と共に、前を向いて生きていくということだ。あたらしい肯定を、自らの内側に立ち上げることだ。

これからの日本社会では変化が進んでいく。今までも変化してきたが、もっと本質的でどうしようもない変化を、受け入れないといけないときがやってくる。

そのときに必要になるのは、「考える」ということだ。それも、「自分で考える」ということだ。そのためには、いろいろなものが必要である。本一冊読んだから明日から変われる、というものではない。

できることなら、はやめに準備をしておきたい。



『名ばかり管理職』(NHK「名ばかり管理職」取材班)-0059


働き方の本が続いているので、その流れで。

一時期に比べて、この「名ばかり管理職」の問題は形を潜めている気がする。しかし、根本的な問題が解決されたわけではないだろう。

結局の所、名ばかり管理職が示す致命的な問題は、企業が人件費をコストとしか捉えていないということだ。もちろん、競争が厳しくなる中で、値下げ圧力というのはあるのだろう。他をギリギリまで下げて、いよいよ手を付けるのが人件費なのかもしれない。

それでも、人を使い捨てるような企業は、スキルもナレッジも蓄積しないわけで、やがて競争力を失うのは目に見えている。そんなことは、少しでも先のことが考えられる経営者であればわかることだろう。

ようするに、それがわからないほど無能な人間が経営者になっているのか、それともわかっていてもそうせざるを得ない状況に追い込まれているのかのどちらかというわけだ。どちらにせよ、救いはない。

実際、人件費をギリギリまで__労働者の健康で文化的な生活を阻害するほど__下げなければいけないのならば、その企業は実際はもう潰れているのだ。人件費の圧縮という形で手形の不渡りを防いでいるだけ。もう先はないのだ。

もちろん、不況の発生によって、一時的に人件費を削減することはあってもよいだろう。でも、それは「一時的」という限定が付く。人件費をそこまで下げなければ、経常的にやっていけないというのであれば、もうそれは終わっているのだ。延命処置をしているに過ぎない。

きちんと売り上げが作れ、そこからさらに利益を生み出せていること。それが持続可能な企業の一つの指標である。そのバランスシートをごまかす手段が「名ばかり管理職」なのだが、そんなものは長続きしようがない。

でもまあ、自分が社長の椅子に座っている間だけ持ちこたえたらそれでいい、と考えているならば、話は変わってくるからなかなか厄介なのだが。

ともあれ働き手は、企業は自分の面倒をみるために存在しているわけではない、という自覚を持たなければならない。いささか哀しい自覚ではあるのだが、どうしようもない。いざとなったら、無責任と罵られようとも逃げるのが良い。三十六計逃げるにしかず。

『リアル 30's』(毎日新聞「リアル 30's」取材班)-0058


リアルの乖離。

本書が提示するものはそれだ。そして、それはややこしい問題を生む。

「リアル」な感覚が乖離すれば、他者からの理解も協力も得られない。あげく、非難されてしまうこともある。イマジネーションの及ばないところには、同情の芽も生えない。

生き方が多様化しているにもかかわらず、あるいはそれであるがゆえに発生する「生きづらさ」。本来それは同世代的な問題として展開されていくものだが、そこにリアルの乖離が絡むことによって、あくまで個別の問題として落ち着いてしまう。そこから半歩でも足を進めば、もう自己責任という言説が顔を見せる。そうなれば、議論は姿を消すだろう。

明らかに若者には厳しい時代ではあるが、中にはそんなに厳しくない若者もいる。そういうタイプがもし言説の主導権を握ってしまったら……と想像するのは、やはり怖いものである。

世の中にあるさまざまな「リアル」に触れておくことは、やはり大切であろう。

『働くということ』(黒井千次)-0057


『働くということ』とタイトルは同じだが、方向性は逆である。

こちらは、著者一人の「働く」という実体験を追いかけている。一人の人生の中の「働くこと」について。それを振り返りながら、働くことが人生に与える影響について考察されていく。

働くことについて考えるためには、複数の働き方について知っておきたい。しかも、知識だけでなく実体験として知っている方が望ましい。少なくとも、その方がうまく相対化ができるだろう。

実際、サラリーマンとフリーランスは同じ所も多いが、違うところも多い。それは労働条件だけの話ではなく、収入の量でもなく、この社会の中にいかに位置づけられるのか、ということも含まれる。

そうした社会からの作用は、契約書を眺めているだけでは決して見えてこない。

仕事というものは、私たちと社会を接続するものである。ある種のメディアと言うこともできるかもしれない。人生の長い時間を仕事に費やすわけだから、それについてはできるだけいろいろなことを考えておきたいところである。

『働くということ』(日本経済新聞社=編)-0056


「生きるために働く必要がなくなった時、人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる」

経済学者ケインズの言葉として紹介されている。

本書は、さまざまな働き方をする人たちをインタビューした一冊だ。著名人とはほど遠い、ごく「一般」の人たち。

でも、それは古い価値観における「普通」の人たちではないかもしれない。働くと言うことについて、生きるということについて苦悩を抱える人たちだ。

きっと敗戦直後の日本では「人生の目的」を考えている余裕などなかったのだろう。そして、その問いとの向き合い方を知らないままに、時計の針が進んでしまった。

現代ではいろいろな働き方・生き方が選べる。選ばなければならない。文化という前例に倣っても、誰も自分の人生に責任を取ってはくれない。

「働くとは何か?」

という問いに、自分で答えを出さなければならないのだ。そして、自分でその答えを採点しなければならない。厄介だ。非常に厄介だ。

でも、生きるということは、そういう厄介さをえいやっと背負い込むことでもあるに違いない。

『初秋』(ロバート・B・パーカー)-0055


スペンサーシリーズ。マッチョでインテリな探偵。

生きるということは、どういうことか。そんなことに感じ入る一冊。悲惨な人生というものはありうるが、何かを変えられる可能性は薄くともそこにある。

若い頃に読むのが良い本である、

『ポモドーロテクニック入門』(Staffan Nöteberg)-0053


優れたタスク管理システムについての本。

いや、タスク管理システムについての優れた本、と言うべきだろうか。このシステムが優れているかどうかは、あなた自身の性格や習慣や置かれている環境に依るから断言はしにくい。

ただし、本書がくだらない精神論を目立つ実績で彩ったエセ仕事術本ではない、ということだけは保証できる。心理、つまり人の心の働きをきちんと視野に入れた方法論となっている。

だいたいにして心理に関する深い洞察無しに、「自分のトリセツ」など書きようがないではないか。

タイマーを使った仕事の進め方そのものはありふれてはいるが、ポモドーロテクニックは、きちんとしたシステムとなっている。フローを回すように設計されているのだ。システム自身のカイゼンが組み込まれていると言っても良い。

そうした要素がないと、「最初の一週間はうまくいったのだけれども……」みたいな結果が訪れて、また別の本を買わなくてはいけなくなる。堂々巡りの消費ビジネスだ。

使うツールは最低限、あとはコツコツと実施とカイゼンを繰り返して、自分の「システム」を作る。それ以外の「近道」はすべて袋小路と考えた方が良いだろう。本書は、そういう袋小路にはまり込まないための、役に立つ地図となってくれるはずだ。

ともかく、「自分」のことを見過ごしてはいけない。そのためには、記録が必要なのだ。

『ガンスリンガー』(スティーブン・キング)-0054


とても、はらはらさせられたシリーズ。

作品の展開ではなく、「本当に完結するのか、これ」という心配。とりあえず、それは杞憂に終わったので、一段落。

おそらく評価が分かれる作品であろう。ハードボイルドというかファンタジーというか、非常にジャンル分けが難しい。人の空想力はここまで羽ばたけるのか、と個人的には感心させられた。あと、ガンスリンガー(主人公)のキャラは大好きである。



『地球幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)-0052


クラークの作品は、どれも印象深いものだが、本作のイマジネーションはすさまじい。ガンダムのその先、といったところだろうか。何を言っているのかわからないと思うが、読めばすぐさま腑に落ちるだろう。

ストーリーテリングも見事だ。オーボエの軽快なリズムに身を任せていたら、いつの間にかありとあらゆる管弦楽器と打楽器の嵐に見舞われる、というような精緻にコントロールされたオーケストラの演奏を思い起こさせる。

時間は、ありとあらゆるものをその背に乗せ、未だ見ぬ場所へと運び去っていく。SFの醍醐味ではないだろうか。


『俺の考え』(本田宗一郎)-0051


大胆かつ奇抜、そしてシャープに本質を突く。

すぐれた経営者というのは、優れた思想家でもある、というと言い過ぎかもしれないが、ともかく面白い。慣例といったものから考えを立ち上げることをせず、本質と未来を見据えて必要な行動を取っていく。それが、習慣に引きずられる人からみると奇抜に見えるのだろう。あるいは、多少のへそ曲がりマインドが本田氏の中に潜んでいるのかもしれない。

資本がないから事業が思わしくないとの声をよく聞くが、それは資本がないからではなく、アイデアがないからである。

耳の痛い話ではあるが、この指摘は現代においてますます重要になっている。

本書にはどこにも古さはないし、たいくつな話もない。オリジナル版は昭和38年発売の本だが、新しさと面白さに満ち溢れている。


『神の子どもたちはみな踊る』(村上春樹)-0050


ネットでよく言われる「村上春樹風」と呼ばれる文体は、基本的に過去のものだ。彼の文体は、きちんと変化(あるいは進化)している。

2000年に発売になったこの作品を読んでも、それはわかるだろう。いくつか村上春樹っぽい部分もあるが、そうではない部分もある。そういう部分を見過ごしていては、彼のほんとうのすごさはわからないのではないか、とすら感じてしまう。

本作は短編集であり、今日という日付で紹介する意味がある作品集でもある。でも、それがそのような意味があるのかは実際に読んでもらうしかない。

作品の中では、カエルくんが非常に目に付くが、ともかく『蜂蜜パイ』が素晴らしい。彼のこれまでの作品とは少し色合いのことなる前向きのベクトルが感じられる作品だ。じん、と胸に染みてくる。

今の我々も、そういうベクトルを持った新しい物語が必要なのだろう。

『Fate strange Fake』(成田良悟)-0049


あの成田良悟が描くFateシリーズ。

Fate/Zeroもたいしたものだと思ったが、この作品も別の意味で素晴らしい存在感がある。ページのどこをめくっても、成田作品の匂いが漂ってくる。キャラクターのイカレ具合や、場面転換のタイミング。いかにも、という感じだ。

それでいて立派にFateシリーズである。ギルガメッシュはやはりカッコイイ。

これはFateシリーズが持つ懐の深さと共に、その設定が(褒め言葉として)厨二病感に満ち溢れていることも示しているのかもしれない。そこには、ある種の共通言語的感覚があるのかもしれない。

『知性誕生』(ジョン・ダンカン)-0048


「知性」とは何なのか。それをさまざまな観点から考察していく。当然、脳科学系の話が多い。

興味深いのが、知識と行動と構造の話絵である。全体的な構造のイメージが持てないとき、私たちは行動が取れなくなる。座って本を読む、という一見単純な行動ですら、一連の複雑な行動が一つの方向性のもとに有機的に統合されている。その統合を生み出す力がなくなると、たいへん困難な状況に陥る。

これは、タスク管理におけるプロジェクトの重要性を示すものであり、拙著『「本」を読むことについて』で触れた、文脈の構成が鍵を握る、という話にも通じてくる。

断片は知性でもなければ、教養でもない。

しかし、そのこと自体が断片では見えにくいという構造的な問題を含んでいる。


『フラニーとズーイ』(J.D.サリンジャー)-0047


つい最近読み終えた。旧訳すら読んだことがなかった。

ある意味、この年齢で読んで良かったような気がする。たぶん20代では、この話はまともに受け取れなかっただろう。もちろん、今ならちゃんと読めている、と断言できるわけでもないが。

印象的だったのは、ズーイが母の"観察力"に驚愕するところ。そして、声真似で電話するズーイ。登場人物が3人ほどしかないのに、実に複雑なお話になっている。危うい線の上でギリギリ成立していような印象を受けた。

むしろ、これを読んでいる私の精神がそのギリギリのところにあるのかもしれないが。

『超絶』(桜井章一)-0046


本書を読んで麻雀が強くなったかと言われれば、寂しげに首を横に振るしかないわけだが、学んだことは多い。特に、運というものについての考え方を大いに得た。

この手の話はデジタル論者からすると、「所詮オカルト」で片付けられてしまうのだが、目先の点棒を追いかけるのに必死になって、周りの状況を見過ごしてしまうヤツは、やっぱり負けてしまう、という点はかなりある。結局の所、人間と人間の勝負なのだ。どれだけ強い手牌でも、心が折れていれば前には進めない。逆もある。

勝負事において、心の状態をいかに保つのか、というは技術論以前に大切なことである。

『本を読む本』(M.J.アドラー,C.V.ドーレン)-0045


読書術の古典である。

この本を読めば、知的生産における読書術はだいたいカバーできる。問題は、これも一冊の本であるということだ。本書がクリアできなければ、次のステップには進めない。

つまり、まるっきりの読書初心者には、「『本を読む本』を読む本」が必要になってくる。なので、自分でそういう本を書いてみた。
※『ハイブリッド読書術』『「本」を読むことについて』

妙な話だが、本書を読むと、本の書き方にも影響が出てくる。こういう読み方に値する本を書かなければ、という意識が高まってくるのだ。もちろん、意識が高まったからといって実際にそういう本がかけるとは限らないが、何も無いよりはマシだろう。

最後に「知的エチケットの一般的心得」を抜粋しておく。

  • 「概略」と「解釈」を終えないうちは、批評に取りかからないこと。
  • けんか腰の反論はよくない。
  • 批判的な判断を下すには、十分な根拠をあげて、知識と単なる個人的な意見を、はっきり区別すること。


  • 『ネット・バカ』(ニコラス・G・カー)-0044


    カーの新刊が発売されたとのことなので、「前作」の紹介でも。

    新刊の「オートメーション・バカ」も相当なタイトルだが、本書もいささかやり過ぎである。もちろん、インパクトはあるのだが、前印象で誤解を与えそうだ。

    内容は至って真面目な話です。ゲーム脳とか、そういう話とは違う。

    たとえばロンドンのタクシーの運転手の脳は別の職業の人の脳に比べて、「地図」に関する部分が発達していると言う(発達は言い過ぎかもしれないが)。考えてみれば、当たり前のことだ。筋肉だって鍛えれば、強くなる。脳細胞だって、特定の方向でインプットとアウトプットを繰り返していけば、ニューロンネットワークはその方向に強化されるだろう。

    そして、インターネット前とインターネット後の私たちの情報摂取のスタイルは変わりつつある。インプットとアウトプットの方向性が徐々にシフトしてきてるのだ。当然、脳もシフトしていくだろう。

    その功罪は横に置くとしても、そうした変化が起こりうるということについては自覚的になる必要があるだろう。

    『何を書くか、どう書くか』(板坂 元)-0043


    板坂さんと言えば、講談社現代新書の『考える技術・書く技術』がまっさきに思い浮かぶ。何度も読んだ本だ。

    たまたま神田の書店街を歩いていたら__言っておくが私は京都府民である__、いわゆるワゴンセールで本書を見つけた。あの板坂さんの本であり、タイトルも実直だ。旅行中には本はあまり買わないようにしているのだが、本書はつい手にとってしまった。後悔はしていない。

    1980年発売の本だが、もちろんもう手に入らないし、PHP文庫から再発売されているバージョン(1997年発売)も、Amazonでは中古のみになっている。不思議だ。こんなに面白い本なのに。

    テーマの決め方から、読者のことを想像すること、アイデア発想、文章の設計図(アウトライン)など主要なテーマが押さえられている。こういう本が読みたいし、役にも立つのだ。

    『アイデアのつくり方』(ジェームス・W・ヤング)-0042


    名著である。

    なんと言っても余計なことが一切書いていない。エッセンスがどん!である。他のビジネス書も、わざわざページ数稼がないで、これぐらい要点をまとめてくれると、ビジネスパーソンの読書時間もぐっと短くて済むのに、などと思う。

    発想法系の本では頻繁に引用されているであろうし、私もたいへんよく引用している。

    本書を読んだからと言って、明日からすぐアイデパーソンになれるわけではない。ただ、どういう行動を取っていけばよいのかの指針は得られる。間違いなく得られる。

    知的生産カテゴリーでは、必読の一冊といって良いだろう。なにせ、これを読んでおけば、この本の変形でしかない本を全て読まなくても済むのだから。

    『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問』(村上春樹)-0041


    なんと、質問コーナーが復活するらしい。


    以前にも似たような企画があり、それを一冊の本にまとめたのが本書。他にも二冊発売されている。春樹さんのエッセイが好きならば、まず楽しめる本だ。

    ときどき、悪意のない__しかし、いささかわかりにくい__ジョークの返答があり、一時期うっかり騙されていたことがある。現代なら、……炎上するんだろうか。するとしたら、どう炎上するのか。いささか楽しみである。