『ソードアート・オンライン アリシゼーション・ビギニング』(川原礫)-0029


私の中で、川原礫という作家の認識が一段シフトした作品。

ソードアート・オンラインシリーズでは、第九巻にあたり、第四部が本書から始まる。途中にある「オープニング」の仕掛けには、背筋がぞっとしてしまった。もちろん、恐怖ではなく、鳥肌的な意味だ。

しかし、この感覚は特定の世代にしか(あるいは、ある体験を経てきた人しか)通じないだろうな、という気もする。理解力の話ではない。体験の有無が、ものをいってしまうことはやっぱりあるのだ。

それはつまり、時代によって「文学」なるもののフォーマットが変わりうることも示している。

それはそれとして、きっと誰も知らないだろうが、(拙著)『アリスの物語』のアリスが、アリスという名前なのは、本作へのリスペクトが多分に含まれている。安易にアリスという名前を持ちだしたわけではないのだ。

高度な知性、あるいは感情、はたまた(自)意識を持っていると観測できるAI。しかも、女の子のAI。これに名前を与えるとすれば、アリスしかなかった。もちろん、他の「アリス」からも影響を受けているわけだが、イチイチ名前を挙げたりはここではしない。

脳が「現実」なるもののシミュレーターとするならば、私たちはその中でどのように生きていけばよいのだろうか。川原礫は、それを機械的なシミュレーターを持ち出し、対比させることで描き出している。

それでいてちゃんとエンターテイメントでもあるのだから、脱帽するしかない。